管理者近影(ウソ)

管理者は

きょん太No.100

改め

きょー☆太

再び改め

きょん

☆ネーム変更について☆(2004.2.14談)
PRINCESS PRINCESSファンになって
“きょん太No.100”という名前で初めて送ったハガキが読まれてしまった。
それ以来ペンネームはずっと “きょん太No.100”。
しかし,時は経てプリプリは解散し,
メンバーはソロ活動をそれぞれ始めた。
プリプリ以外のアーティストのファンの人とたくさん友達になった。
そしたらきょん太のことをカワイク
「きょんちゃん」って呼ぶ人々がでてきた。
だが,それはちがう!!!!!!!!!!! 笑
プリプリファンにとって「きょんちゃん」とは
富田京子さんのことなのです☆
ワタシは「きょんちゃん」ではなああい。汗
なので,昔から一部の友達が「きょーちゃん」って呼んでくれてるし,
「いっそ“きょー太”に変えよう!!!!」
そう思って変名しました。
しかし。
やっぱなじんでるのよねー,“きょん太”って響き。
今でもまわりには「きょん太」って呼ぶ人多いし。
というわけで,No.100をとって元に戻すことにしました。
これからはまた“きょん太☆”でいきます!!!!
(ちょっと☆残してみた。笑)

ちゃん付けで呼んでくれるみなさん,
「きょんちゃん」じゃなくて,
これから
かわいく「きょーちゃん」って呼んでね♪

で,2007年9月から
きょん太★”にしました。(★の色が変わったのよん♪)

《マイ・プロフィール》

B型,犬好き。
欲しいモノ:しっぽ。(嬉しいとき思いっきり振る感触が知りたい)
好きな食べ物:チョコ,ガム,ジャンクフード
好きな飲み物:お酒。(種類は問わず。ただしあまり量は飲めない)

以下はプロフィールっつーよりも,
プリプリ&V.D.H.ファンとしての自分の履歴書
みたいなもんでございます。

1989
世間の多くの人がそうであったように, 『Diamonds』PRINCESS PRINCESSを好きになる。

1991.1.2
PRINCESS PRINCESS PANIC TOUR '91“Only We Can Rock You”お正月・武道館公演初日に生まれて初めてプリプリを生で見る。
「この音って,ほんとにこの5人の女の人たちが出しているの!?」
とその迫力に衝撃を受ける。
当時,洋楽かぶれであったが,プリプリは外国のバンドにも劣らないという印象を持つ。
だが,しばらくはごくごく普通のお客さんだった。

1993.1
結成10周年 吉例・謹賀新年 武道館公演を見たあとに,それまでの普通 のお客さんから,プリプリ狂とも言うべき大ファンへと突如変貌!!
なぜ急にそんなことになったのか。
きっかけはこんなことだったのである。
1992年が個人的にとてもつらい時期(いじめにあう,好きな洋楽アーティストの音楽性が変わってしまって失望する,何も打ち込みたいものがみつからないetc.)であり,「自分は何のために生まれてきたのか?」などと考え込んでしまうほど,精神的に最悪の年だったのだが,とにかく「93年になれば,93年に逃げ込めば必ずいいことがあるはず!」と何故か信じ込んでいた。
そしてやっと年が明けて,例年のようにプリプリお正月の武道館に行ったのだが,アカペラの「M」を聴いているうちに涙が出そうになった。
別に過去の自分の恋とオーバーラップして泣きそうになったのではなくて,その場の厳かな雰囲気,プリプリとこんな美しい瞬間を共有していられるということに感動しているのだと気づき,自分は思ったよりプリプリが好きなのだと思い知ったのが,本当のプリプリファンとしてのスタートだった。
それからは毎日が楽しくてたまらず,またたくまに全CDを買いそろえ,出版されている本をかたっぱしから集め,プリプリファンとしての栄養をつけていった。
それまでうわべだけで知っていたプリプリの,楽曲の良さ,人柄のすばらしさに心底感動した。
女同士の集まりというのは,何かといざこざが多く,何度かいじめにあう経験をした自分にとっては,プリプリの存在というのは,まさに理想郷だった。
熱狂的ファンになった1月に,ちょうどリリースされたアルバム『Bee-Beep』は,4月のツアーまでに100回以上は聴き込んだと思う。

1993.4〜7
自分の,ファン・デビュー・ツアーと言っても過言でない
PANIC TOUR '93“Bee-Beepプリプリサミット”ツアーに行きまくる。
こんなに「ライヴが見たい!」と思ったアーティストは初めてで,とにかくライヴに行きまくった。
ツアー前,行く予定でとったチケットは10カ所くらいだったが,見れば見るほどプリプリのライヴ
が見たくなり,
全国を飛び回り,ツアー終了後に手元に残った半券は31枚。(全42公演)
以後,“Bee-Beep”ツアー本編終盤の7月14日の青森市文化会館のライヴから解散の日まで
1本も欠かすことなくプリプリのライヴに行き続けることになる。
このツアーをまわって大勢の友だちができたが,10年たった今でも交流がある友だちは多い。
プリプリが与えてくれた,自分の宝物である。

1993.7.30〜8.4
ファンクラブ5周年イベント・ハワイツアーに参加。写 真撮影のとき,初めてメンバーの間近に
行き,気絶しそうになる。
ド派手なオリジナル衣装だったため,珍しがられて話しかけてもらったが一言も返事できず。
記念撮影後できあがってきた写真の自分の顔は夢見心地でこの上なくだらしないものだった。
まさに,夢のようなツアーであった。

1995.10
プリプリ解散発表。
友だちがTVで見たと電話してきたが,最初はまったく信じなかった。信じようともしなかった。
でもシンコーに電話して事実を確認してからは,一気に世界中が地獄と化した。
PRINCESS PRINCESSというのは解散しないのだ,となぜか信じ切っていただけに,最初は気持ちのやり場がなかった。
というか,しばらくは廃人のようだった。
でも,その当時のことをあまり語りたくはない。
とにかく,ちゃんと乗り越えて,納得してPRINCESS PRINCESSを見届けたのだから。
タイムマシーンで楽しい過去にたくさん戻れたとしても,あの瞬間に出会わなければならないのなら,過去へなど2度と戻りたくない。

1996.1
ついにPRINCESS PRINCESS全県ラストツアー“解散を遊ぼう”スタート。
相当の覚悟で全ライヴ行くことを決意。
一番悲しかったのは初日。ここから本当のさよならが始まるのだと思うと辛くてたまらなかった。
それ以降は,気持ちを切り替えて楽しんだ。死の宣告をされた者が,残された命をせいいっぱい
まっとうするような気持ちで1本1本大切に見た。たくさんの思い出が残った。
日本全国47都道府県,ひとつも残さずに足を踏み入れるという貴重な体験をすることもでき,
PRINCESSには本当に感謝してやまない。

1996.5.31
PRINCESS PRINCESS解散。
当日のライヴをどんな気持ちで迎えるのだろうと,とても不安だった。
しかし,ラストライヴは寂しいとか悲しいとかいう気持ちはほとんどなく,ほんとうにライヴを
楽しむことができた。最高のライヴだった。
そしてこんな不思議な体験だけは語っておきたい。
ラストライヴのラストシーン,白い衣装に身を包んだPRINCESS PRINCESSのメンバーが,最後の曲,『19 GROWING UP -ode to my buddy-』を終える。
右へ,左へ,そして中央を向いてファンに最後のあいさつをしたあと,手を振る5人。
ほんとうにお別れの時がきたのだ。
明かりが消えたらもう...。
しっかりと5人を目に焼き付ける。
.....ついに明かりが消えた.....。
5人が手をつないでステージから去っていくのがおぼろげにわかる。
すると,暗闇の中,PRINCESSが去っていったあたりから,ものすごい暖かなものが流れてきたのだ。
それはとても不思議な感覚で,空気の暖かさなのか,あるいは,実際の感覚ではなかったのか,それすらもよくわからない。
でも確かに,安堵の,やすらぎの,至福感ともいえるような暖かな何かが流れてきたのだ。
「ああ,すべては終わったんだ。
ありがとう! PRINCESS PRINCESS。」
驚くほどのおだやかな気持ちだった。
まだ場内はアンコールや声援が鳴りやまなかったが,自分は声を発することもなかった。
あの暖かいものが流れてきた瞬間,もうPRINCESSは二度と出てこないことがわかったからだ。
アンコールではなく,PRINCESSをたたえる拍手を送り続けた。
こぼれてきた涙は悲しみではなく,満足しきった,感動の涙だった。人は死を恐れるけれど,実際訪れる死はそんなに怖いモノではない,という話を聞いたことがある。
あの瞬間はまさに臨死体験だったのでは,と思うことがある。
解散発表以来,PRINCESSが消えてしまうその瞬間というものを,どんなに恐れていたことか。
でも,実際は違った。
あんなに心地よくて,幸せな暖かさに包まれるなんて思ってもみなかった。
その正体は,今でもわからないけれど,あれがものごとを全うした“最期”の瞬間というものなのかなあ,と漠然と思う。

10周年に熱狂的ファンとして大ブレークをし,それからはたくさんたくさんライヴに行った。
ファン歴はとても浅かったが,全力で駆け抜けた3年半にまったく悔いはなかった。

解散後(1996.6〜1999.11)
プリプリ5人全員が大好きで,とうとう最後まで誰か一人のファンというのが決められなかったので,解散後は,各メンバーのソロ活動を,可能な限り全部応援していた。
楽しいことはたくさんあったが,ライヴの日にちが重なって,泣きながらどちらかをあきらめるような,辛い日々もあった。
先へ進めば進むほど,自分の行き場がなくなるような気がしていた。
とにかく死ぬまでにもう一度,PRINCESS PRINCESSのライヴが見たい,というのが悲痛な願いだった。
解散後,とくに深い悲しみに襲われたり...ということはなかったが,ラストライヴのビデオだけはどうしても見ることができずにいた。
あのシーンを見てしまったら,自分の心の奥底が見えてしまうかも知れない。
その傷の深さに驚いてしまうんじゃないか,ひそかに我慢していた悲しい気持ちが,あふれ出てしまうんじゃないか,と内心恐ろしかったからだ。
結果的に,その後,最後までラストライヴのビデオを見ることができたのは,2002年である。

1999.11.28
ずっとそんな気持ちを引きずったまま,解散から3年半がたった。
中山加奈子さんが新バンドを立ち上げたのだというので,それは楽しみ!と思ったのだが,“VooDoo Hawaiians”なんて,なんだかへんてこな名前だ。(笑)
それに,“仮”のバンドみたいな雰囲気もなきにしもあらず。
とにかく加奈ちゃんのライヴを見れるのは嬉しいぞ,とV.D.H.初ライヴに行ったのが,1999年11月28日だった。
バンドのオリジナルがほとんどだったから,曲は『BRAIN vs SPIRIT』くらいしかわからなかったのに,やけにライヴが楽しくて楽しくてたまらなかった。
その夜は帰る気がしなくて,友達と朝まで語り明かした。
次の日は月曜日で仕事だったというのに。

1999年末〜
気がついたらものすごい勢いでV.D.H.のライヴ活動が展開し,とにかくライヴが見たい一心で通い続けた。
ほかにも楽しかったり良かったライヴはいっぱいあった。
だけど,プリプリが終わったら,2度としないだろうと思っていた,自分のオリジナルTシャツを作ってツアーにでかける...なんてことを,いつの間にか自然とやっていた。
1ヶ月に20本もあるライヴツアーも行った!
なんか,ほんとに生きてる!!って感じだった!
好きなことを,ロックンロールを,どんなことをしてもやり続けるんだ!という加奈ちゃんの熱い思いがストレートに伝わってきた。
そして,頑張っていれば,“思いは叶う”ということを身をもって教えてくれた。

2003.2.1
中山加奈子さんのファンサイト“加奈ちゃん大好き人間集まれ!.com”を開設。今日に至る。


人生に何も楽しみがなくなって,すごい辛かった時期に救ってくれたのが,PRINCESS PRINCESSだった。
そして,そのPRINCESSがいなくなって,また迷路に入りかけていたのを救ってくれたのが,中山加奈子というロックンロール・アーティスト,そしてVooDoo Hawaiiansなのである。

VooDoo Hawaiiansのライヴを数え切れないくらい観てきた中で,またたくさんのすばらしいバンドと出会ってきた。
それプラス,1999年からスタートした「プリプリファンの,プリプリファンによる,プリプリファンのためのイベント・PRINCESS PRINCESS Memories」に参加することで,自分自身もバンドをやることの楽しさに目覚め,そして多くの音楽仲間と出会うことができた。

関わることのできたすべての人たちに,数え切れない感動的なライヴに感謝して,これからの人生も,突っ走っていきたい★★★★★

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